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供養とは、辞書的に言えば、三宝(仏法僧)に対して、三業(身・口・意)によって供物をささげることを意味します。三業とは、身体を使って行なうこと(身業)、言葉として口に言うこと(口業)、心に思うこと(意業)をさします。つまり、人があらゆる方法を使い、三宝を敬うことです。
初期仏教では、信者が衣服・飲食・臥具・湯薬を僧団に寄付することを指していましたが、仏教が広まり、発展するなかで、様々な「供物」が考えられるようになっていきます。花・香・灯明(三具足といいます)を供える、卒塔婆や仏塔を建てる、といったモノだけではなく、念仏や礼拝という身体的行為や心の中で敬い讃えるという精神的行為も「供物」となるわけです。同時に、三宝を敬うためだけではなく、死者の霊魂をなぐさめ落ち着かせるために供養が必要とされました。供養の対象に死者の霊魂が加わり、大きな要素となっていきます。
供養というと、その範囲が広く、混乱する方も少なくありません。たしかに、経典にのっとった供養の方法もありますが、経典にのっていない、一つの型として定められていない供養が、私たちの身の回りにはたくさんあります。それらの供養は、仏教の教えと民間の習俗が融合して、長い歳月を経て形成されてきたもの。したがって、地域により、時代により、その方法は様々です。
私たちがもっとも身近に戸惑いを感じるものでは、通夜・葬儀があげられるでしょう。通夜・葬儀は一種の死者に対する供養と考えられますが、時代により、地域により、宗派により、多種多様な形体を示す代表的なものです。
全国的ではなくても、特定の業種や地方の方々によって行なわれる供養もあります。たとえば、理美容業界の方々によって行なわれるハサミ供養や、水産業が盛んな地方での魚供養など。
また、時代の変化にしたがい、失われる供養の形もあれば、新たな供養の形も生まれてきます。水子供養や手元供養、ペット供養などは、比較的歴史が浅く、現代人のニーズに応えて生まれた供養と言えるでしょう。
形式ばかりを気にして、気持ちがおざなりになっては本末転倒。三宝を敬い、死者を想う心が何よりも大切です。
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