永平寺は、曹洞宗の大本山です。寛元二年(1244)、日本に曹洞宗の教えを伝えた道元によって開創されました。寛元元年、道元は波多野義重の知行地である越前に移りますが、すぐに寺院建立を発願し、波多野義重の協力を得て、大仏寺を建立します。しかし、二年後、大仏寺は永平寺と改められます。この「永平」という名は、仏教が中国に伝えられた年号にもとづいています。後漢の永平十年(67)に仏教が中国に伝えられたように、この永平寺に正伝の仏法を伝えるという道元の自負が込められているのです。
現在の永平寺は、境内が約十万坪あり、七十余棟の建物がならぶ大規模な寺院です。永平寺の建物は七堂伽藍(しちどうがらん)という禅宗建築にもとづいています。七堂伽藍とは、山門、仏殿、法堂(はっとう)、僧堂、庫院(くいん)、浴室、東司(とうす)の七つの建物のことをいいます。
永平寺の七堂伽藍は山の傾斜にそって建てられており、山門・仏殿・法堂は一直線上に南北にならび、仏殿の東には庫院、西には僧堂が配置されています。
寺の玄関にあたる山門は、永平寺最古の建物であり、左右には大きな四天王が祀られています。仏殿は明治三十五年に改築されており、総欅造りで、内部は中国宋代の形式による石畳敷きになっています。仏殿の中央に釈迦牟尼仏、向かって左に阿弥陀仏、右に弥勒仏が祀られており、三世の如来といわれています。法堂は、天保時代に再建されたもので、須彌壇には聖観音が祀られています。千人くらいの参拝者でも収容できる大きな法堂では、日夜、修行僧が唱えるお経の声が聞こえます。僧堂は今でも雲水が坐禅を行っており、修行の中心の建物となっています。法堂の左には道元の真廟である承陽殿があり、道元から五代目までの住持の尊像が安置されています。
永平寺は福井県の永平寺町にありますが、東京と名古屋には永平寺の別院があります。東京の長谷寺が東京別院であり、名古屋の泰安殿護国院が名古屋別院です。それぞれ雲水が日夜修行に励む道場になっています。
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