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円仁(794-864)は、最澄によって開かれた日本の天台宗を大成し、わが国で最初に「大師号」授けられた高僧です。したがって慈覚大師ともいいます。
円仁は子供のころからお寺で修行をしていましたが、15歳のときに比叡山に登って最澄に師事します。42歳の時に、遣唐使の一行に加えられました。円仁の乗った船は暴風に遭うなどして、三度目にやっと唐に着くことができました。
円仁の目的は、天台宗の聖地である天台山へ行くことでした。しかし、旅行許可証を手に入れることができません。そこで円仁は遣唐使の一行と別れ、危険を知りつつも唐に滞在することを決意します。当時、中国では多くの新羅人が活躍していました。円仁は新羅人の助けを借りて天台山を目指そうとします。しかし、天台山より近いところに五台山という仏教の聖地があると聞かされ、五台山に行き先を変更することにしました。長い道のりを徒歩で五台山まで行き、五台山では温かく歓迎されています。日本仏教の声明や念仏は、五台山から円仁が伝えたものが元になっているといわれています。
その後、唐の都である長安へ行きます。そこでは多くの高僧から密教の奥義を授けられ、またさまざまな法具を手に入れることができました。その後、苦労をして新羅商人の船に便乗し、日本に帰国します。
入唐から日本に帰国するまでの9年半にわたって円仁が書いた日記が、「入唐求法巡礼行記」(にっとうぐほうじゅんれいこうき)という大旅行記です。これは日本人が書いた最初の本格的な旅行記であり、当時の中国の様子を伝える資料としても高く評価されています。
帰国後、円仁は天台宗の指導者として活躍し、三代目の天台座主となります。円仁が開いたり再興したと伝わる寺は関東や東北に今も数多く残っています。
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