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源信(942-1017)は平安中期の天台宗の僧で、恵心僧都とも呼ばれます。奈良の当麻に生まれ、少年のときに比叡山に登って良源の門下となり、13才の時に得度します。
源信はすぐれた学問僧として、たびたび天皇や貴族たちのまえで仏法を講義するようになります。あるとき母を喜ばせようと、頂いたほうびの品を母親のもとに送らせました。しかし、ほうびの品は返されてきて、まことの求道者となるようさとされます。この母の厳しさにうたれた源信は、それ以後修行に専念し、比叡山の横川に住んで念仏三昧の日を送ったといいます。
源信は、自分のような愚かものが救われる道は念仏しかないと考え、『往生要集』を著わして念仏の教えに帰依することをすすめました。この『往生要集』は極楽往生に関する記述をさまざまな経典から集めて編集し、念仏を勧めたものです。本書はその後の日本における浄土思想のみならず、文化・芸術にまで多大な影響を及ぼしました。またこの書は宋にも送られ、高い評価を受けたといわれています。
また源信は念仏の教えを説いただけでなく、実際に念仏を実践するための集団を作りました。そのための指針が「二十五三昧式」という文章として残っています。これには看病やお葬式のことなどについても書いてあり、例えば仲間に病人が出た場合は、看病して念仏することを勧めています。
源信は臨終の間際まで念仏を怠らず、76歳で没しました。『源氏物語』に出てくる横川僧都は源信がモデルであるといわれます。
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