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最澄は平安時代の僧で、日本の天台宗の開祖です。近江国(滋賀県)に生れました。十二歳のとき、近江の国分寺に弟子入りし、十五歳で得度したとき、幼名の広野(ひろの)から最澄に名前を改めます。
やがて二十歳の時、奈良の東大寺で受戒し、国に認められた僧侶となりました。しかし当時の仏教に疑問を感じた最澄は、受戒後3ヵ月ほどで奈良を離れ、比叡山に入って修行します。
桓武天皇の信頼を得た最澄は、智が説いた天台の教えを学びたいと願って唐に渡り、天台山で天台の教えを受けます。また唐では密教も授けられ、顕教と密教の一致を説く日本天台宗の基礎をつくりました。延暦二十五年(806)には、天台宗にも二名の年分度者(毎年国家が認める天台宗の僧侶)が認められます。二名の年分度者とは、止観業(坐禅など)を専らに修行するものと、遮那業(密教)を専らに修行するもの一名ずつです。
最澄の晩年は論争に明け暮れたものでした。成仏できるものとできないものを区別する旧来の仏教に対し、最澄は誰でも成仏できると説き、法相宗の徳一と「三一論争」を引き起こします。また大乗仏教の僧は独自の戒律(生活規範)を持つべきだとして、やはり旧仏教と対立しました(大乗戒論争)。最澄は弘仁十三年(822)遷化し、「伝教大師」の諡号が贈られました。
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