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聖徳太子は、飛鳥時代の政治家で、わが国に本格的に仏教を導入した功労者であり、仏教の興隆につとめたので、日本仏教の祖といわれています。「聖徳太子」とは死後に贈られた名前で、生前は厩戸皇子、あるいは上宮王などとも呼ばれました。
用明天皇を父に、穴穂部間人皇女を母として、574年に生まれたといわれています。わが国初の女帝であるおばの推古天皇の時代、摂政として国の政治に当たり、画期的な政策を次々と実行していきました。
「冠位十二階」を定めて、才能による人材登用制度を定めたり、「十七条憲法」を制定して、仏教を尊重すべきことを説いたりしています。聖徳太子は幼ないころから聡明で仏教を篤く信仰していたといわれ、『法華経』・『維摩経』・『勝鬘経』の解説書である『三経義疏』を著したりもしました。また四天王寺や法隆寺などの寺院を建立したとされます。
聖徳太子には様々な伝説が伝えられています。例えば、ある時10人もの人々が請願におしかけた時、聖徳太子は全ての人の言葉を理解し、的確に答えたといいます。豊聡耳いう別名もこの故事に由来します。
聖徳太子は南嶽慧思(天台宗開祖の智の師)の生まれ変わりであるいう伝説もあります。後世になってからも、聖徳太子は日本仏教の祖として崇敬されてきました。天台宗の最澄、浄土真宗の親鸞、日蓮宗の日蓮などは皆、聖徳太子を信仰していましたし、禅宗でも達磨大師の導きによって聖徳太子が日本に生まれてきたのだとしています。
このように、聖徳太子は宗派を問わず信仰され、広く人々に受け入れられてきました。聖徳太子ぬきには日本仏教を考えることはできないのです。
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