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善導(613-681)は、隋の時代に生まれました。出家してさまざまな経典を読んでいくうちに、西方浄土を観想してそこに往生することを説く『観無量寿経』に出会います。善導は浄土の教えを求めて各地をめぐり歩いて、道綽と出会います。
道綽の思想は、今が末法であるという時代意識から、そのような時代と人にふさわしい教えとして浄土信仰、特に念仏を勧める点に特色があります。善導は道綽の指導で念仏に励み、念仏によって往生するという思想を確立します。
道綽の死後、善導は当時の中国における仏教の中心地であった長安に行き、光明寺に住んで教化に励みました。善導は『阿弥陀経』を書写・読誦したり、阿弥陀仏の浄土のありさまを描いた「浄土変相」を画くなどして、広く一般民衆に浄土の教えを広めました。
このように善導は広く大衆に門戸を開いて教えを説いたので、長安中が念仏の声に満ちたといわれるほどに念仏が盛んになったといわれています。
善導による二河白道のたとえは有名です。それは次のような話です。
人が西に向かって歩いていくと、火の河と水の河に出合って行き詰ってしまいます。しかも後ろから悪人や獣が迫ってきています。彼は決心して河の間にある細い白い道を進んでいき、励ましの声に助けられて、無事向こう側に渡ることができるのです。
この話は釈迦の励ましと阿弥陀の招きによって浄土で安穏を得ることを意味しています。特にわが国において、この話にもとづいて芸術作品も多くつくられました。
善導は『観無量寿経』の新しい解釈を示して、念仏による往生こそ末法の人々が救われる道であることを明らかにしました。これを善導流の念仏といいます。それまでは、心を落ちつけ、真理を悟るというやり方が一般的な仏教の実践でしたが、善導は声に出す念仏を重要だとしました。
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