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如来と菩薩1
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・お釈迦さま ・阿弥陀さま ・観音さま
・釈迦如来 ・サンスクリット語 ・阿弥陀如来 |
お釈迦さま、阿弥陀さま、観音さまというと、私たちは同じ仏さまと考えてしまいます。ところが、実はお釈迦さまや阿弥陀さまと観音さまでは、立場が異なります。正式名称から考えてみましょう。
お釈迦さま、阿弥陀さまは釈迦如来、阿弥陀如来。観音さまは観音菩薩。この「如来」と「菩薩」には、大きな違いがあるのです。
「如来」とは、修行を完成した人、真理の体現者という意味。サンスクリット語では、tathagataといい、tatha(かくのごとし)+gata(行ける)という意味でしたが、中国に伝わる段階で、tatha(かくのごとし)+agata(来れる)と解釈されて、「如来」と漢訳されました。真如(真理)に行った(到達した)者という意味でもあり、真如(真理)より来生して、教え導く者という意味でもあるのです。
同じく修行を完成し、真理を悟った人のことを「仏陀」(略して「仏」)といいます。釈迦如来、阿弥陀如来を、釈迦牟尼仏、阿弥陀仏とも呼びますが、観音菩薩を観音仏とは呼ばないことからも、使い分けが分かるでしょう。(弥勒菩薩だけは、将来、仏となることが決まっているため、弥勒仏・弥勒如来とも呼ばれます。)
この他に、悟った仏さまを表わす言葉として、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、世尊が、如来、仏と合わせて、仏の十号とされます。
一方、「菩薩」は、菩提薩?(菩提薩多)の略で、菩提は悟り、薩?は生命あるものの総称。「菩薩」とは、悟りの完成を求めて修行する者を意味します。つまり、修行が終了した如来とはことなり、菩薩は修行の途中なのです。ですから、出家してから悟りを得るまでのお釈迦さまも菩薩と呼びます。
ただし、観音菩薩や地蔵菩薩たちは、来世では如来となることが約束されている「一生補処の菩薩」と呼ばれる、最高位の菩薩とされます。
大乗仏教では、菩薩を、上方向には、自らの悟りを求めながら(=自利)、下方向には、衆生を教え導く(=利他)修行者として解釈し、この「上求菩提、下化衆生」、「自利利他」の精神を、出家・在家を問わず、仏教者のあるべき姿としました。この自分の救済だけでなく、他人も救おうとする大乗仏教の革新的精神が、観音菩薩や地蔵菩薩などこの世に留まって私たちを救ってくれる数々の菩薩信仰を生み出したのでしょう。
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| 仏像>如来と菩薩1 |
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