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仏教には「六趣」という言葉があります。迷いの6つの世界である「六道」と同じ意味で、特に地獄や餓鬼などの苦しみの世界を「悪趣」といいます。それに対して「理趣」とは仏の智慧の世界、また、その境地に至る道を意味しますが、『理趣経』はまさにそれを説いているといえます。
『理趣経』はその効用が万能であるとされ、真言宗において、最も基本的に読まれる経であります。朝の勤行から、年回法要、通夜法要、お葬儀など、その範囲は非常に広いものであります。
空海が中国から持ち帰った『理趣経』は、正式には『大楽金剛不空真実三摩耶経』「般若波羅蜜多理趣品」というものです。これは「金剛頂部」系の経典を数多く漢訳した不空により、同じく漢訳されたものであります。(763〜771年の間と言われています。)
インドから中国を経て日本に伝わった大乗仏教の中で、有名な経典というと『法華経』や『般若経』の名前が挙がります。この『理趣経』は、般若経系の全集である『大般若経』の一部である「理趣分」が元になっていると考えられています。
この「理趣分」に徐々に密教的な解釈が施されていったのです。よって同時にこの経は、典型的密教経典である、広い意味での『金剛頂経』の一部と目されるようになりました。つまり典型的大乗仏教と典型的密教、両方のエッセンスが注入された経なのです。
『理趣経』は全部で十七段(章)からなっています。最初の段(初段)に説かれる「十七清浄句」と呼ばれる文句がこの経の特徴である、といわれます。その内容は要約すれば、われわれが日常体験する境地がそのまま直ちに悟りの境地である。しかし、それに気付かないから煩悩になってしまう。われわれが元々仏と変わらないことを気付いて、煩悩を制御し浄化して、仏の道を歩むべきである。とでもなるでしょうか。
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