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今では「戒律」というように一つの言葉となっていますが、もともと戒と律は区別がありました。戒というのは修行者が自発的に受け入れた行動原理のようなものです。したがってそれは内面的な道徳規範ともいえます。
一方で律とは、僧団の規律を維持するための規則のようなものでしたので、罰則も伴う社会的なものだといえます。この二つがまとめられて「戒律」といわれるものとなりました。
戒・定・慧という言葉が仏教にはありますが、戒によって悪事を止めて善を行い、瞑想(定)の修行をして、智(慧)によって真実を見極めるというのが仏教の最も基本的な修行だといえます。しかし僧侶が集団で修行生活をするようになってくると、集団の秩序を維持するための規則が必要となってきます。戒律はこのようにして生まれました。
経典によれば、集団生活の規則は問題が起きたあとに決められたようです。この規則がお釈迦様の死後まとめられて、比丘(男性の僧侶)には250、比丘尼(女性の僧侶)には348の戒律があるということになりました。この数は伝統によって多少異なります。
こうした規則は単に形だけ守ればいいというものとは全く違います。例えば比丘が許されていないものを持っていたときは懺悔しなければなりませんが、その物に対する執着が無いと認められればその物が返される場合もあるのです。
つまるところ、戒律の本質的な意味は外面的な行為ではなく、そのような戒を守る動機あるいは能力なのだといえるでしょう。
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