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神仏習合
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・神仏習合 ・仏教 ・神道 ・六道
・八万大菩薩 ・社僧 ・別当 ・神宮寺 |
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仏教の日本への伝来は六世紀。伝来当初、仏教の仏様たちは、「蕃神(となりのくにのかみ・あたしくにのかみ・ばんしん)」と呼ばれていました。神道の神様と似たようなものと考えられていたのでしょう。
仏教は次第に勢力を増し、鎮護国家の役割を果たすようになります。このような仏教の隆盛のなかで、日本古来の神道との習合がはかられていきます。
その形態は大きく三種に分けられます。
一つは奈良時代中期より見られるようになる、「護法の神」の考え方。神道の神々が仏教の守護神とされ、寺院に鎮守の神様が祀られるようになります。この考え方は、インド伝来といえます。帝釈天や毘沙門天は、もともとヒンドゥー教の神様でしたが、仏教の守護神として取り入れられています。
二つ目も奈良時代中期より見られるもので、「解脱を求める神」という考え方。神道の神々は、六道(衆生が輪廻する世界、これを超えたところが仏の世界)の最上部である天部であり、輪廻に苦しみ解脱を願う存在とされます。この考えにもとづいて、神社の境内に寺院を建立し、神前で読経などが営まれました。これもインドから見られる考え方。
三つ目は、平安時代初期からの「本地垂迹」説です。仏は神の本体(本地)であって、神は仏が仮の姿でこの世にあらわれた(垂迹)ものと説きます。前の二つの神仏習合では、神と仏は別物でしたが、本地垂迹説では、神と仏は一体となります。八幡大菩薩(八幡神に菩薩号を与えたもの)に代表されるように、神様に菩薩号を与えたり、僧形の仏像を神体として祀ったりしました。
天台宗系統の山王神道(比叡山延暦寺の守護神日吉大社の山王を釈迦如来の垂迹とする)、真言宗系統の両部習合神道(伊勢神宮内宮を胎蔵界大日如来、外宮を金剛界大日如来とするなど、諸々の神道説を真言密教的に説いたもの)などにより理論化され、鎌倉時代には大きな影響力を持つようになります。また、修験道で崇められる権現様も「仏が神の姿で権(かり)に現われる」という意味で、本地垂迹説に基づきます。
江戸時代にいたるまで、さまざまな本地垂迹説が形成され、寺院と神社が一体化した神仏習合は全国に見られました。明治維新までの神社では、神道の儀式を社僧や別当と呼ばれるお坊さんが執り行なうことも珍しくありませんでした。
神仏習合というと、現在ではなかなか想像しにくい神道と仏教の関係ですが、今でもお寺と神社が隣接していたり、神宮寺という名前のお寺が存在したりするのは、神仏習合の名残。
日本の宗教の歴史は、神仏習合の歴史とも言えます。在来の神道と結びつくことで、仏教は日本に深く広く浸透していきました。日本人は宗教におおらかと言われますが、神仏習合の宗教文化が影響しているのかもしれません。
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| その他>神仏習合 |
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