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時宗
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踊り念仏 ・一遍 ・阿弥陀仏 ・遊行 ・清浄光寺 ・遊行寺 |
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踊り念仏で知られる時宗は、一遍(1239~1289)に始まります。一遍は、九州の浄土宗西山派の聖達に十三歳で師事し、十二年間学びます。二十五歳で父を亡くした一遍は、家を継ぐため、いったん還俗(僧侶をやめて俗人に戻ること)。しかし、親族の争いなどから再び出家をし、ひたすら念仏の道を歩むに至ります。
一遍は「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」と板木に刷り、配って歩く「賦算」をはじめます。一遍は、阿弥陀仏を信じようが信じまいが、「南無阿弥陀仏」と唱えることで極楽往生は決定すると信じ、それを全ての人々に伝える旅に出たのです。六十万人というのは、六十国を巡って、一国一万人に配ろうという目標から。諸国を巡ることを遊行と言い、一遍を遊行上人とも呼ぶのはここに由来します。時宗では代々法灯を継ぐものを遊行上人とも呼びます。
一遍の遊行には、弟子が付き従い、また、各地域に信者たちも形成されました。彼らは、時衆と称されました。時衆とは、僧俗の集まりや、六時(一日を六つに分割した時間)に念仏の行をする人々という意味。一遍は、終生、全国を遊行し続け、一つの宗派を作る意図はありませんでした。一遍の死後、弟子として付き従っていた真教(1238~1319)が、各地の弟子達を取りまとめ、一つの教団としての組織を作っていきます。したがって、教団としての時宗の始まりは真教とも言えるでしょう。真教は全国を遊行した後、当麻道場無量光寺(神奈川県)を建立、当地で亡くなります。
第四代呑海(1265~1327)は、神奈川県藤沢に清浄光寺(通称・遊行寺)を建立。清浄光寺は発展し、全国を遊行した遊行上人が引退した後は、清浄光寺に入り藤沢上人と呼ばれるシステムが形成されます。
江戸時代に入り、時宗と称される一つの教団となります。明治時代になると、全国を遊行することが難しくなり、遊行上人と藤沢上人は同一となりました。
時宗では浄土宗、浄土真宗と同じく、『無量寿経』、『観無量寿経』、『阿弥陀経』の浄土三部経が所依の経典。とくに『阿弥陀経』を重視します。総本山は清浄光寺。時宗の開宗は、一遍が賦算を志した文永十一(1274)年をもって、その年としています。踊り念仏の元祖は空也(903~972)とされます。空也を庶民に念仏を広めた先達者として慕っていた一遍が、空也をまねて踊り念仏を始めました。阿弥陀仏の救いに出会った喜びを表現したもので、これが一層、庶民に受け入れられ、時宗発展の基礎となったのでしょう。
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| 分類 |
| 宗派>時宗 |
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